♬ハゲとハゲが喧嘩して、どちらも♫
怪我なく良かったねー
こんな、昭和の唄がありました、
さて、ここはモスクワです。
モスクワで一番大きなグム百貨店で歩いていると
私が来て居たTシャツを売ってくれと言われました、
確か数字で27と大きくプリントしたものです。
物資がとても少なく、このモスクワの百貨店も
日本の田舎にあるデパートよりも品数がありません
噛んだガムも捨てずに置いといて次の日噛むのです。
私の泊まってるのは、大きな赤の広場に近いモスクワホテル。
大き過ぎて自分の部屋まで中々覚えれなかったです。
ホテルは、その階ごとの通路角角に必ず
テーブルがありコンシェルジュが居ます。
どでかい胸に釘付けになりながら、
気にも留めないそぶりをしましたが
目がはなせなかったのを覚えてます
私も若かったので、すいません。
数日いただけですが強烈な思い出となり、とうとうモスクワを去る日が来ました。
夜遅くに全面大理石のモスクワ駅
大きくて、どの電車に乗るのか迷っていると
何処からともなく、男性が現れて
こっちです、こっちですと案内をしてくれるのです。
この電車です。中まで入って来てここがあなたの席ですと、
キョトンとしている私を尻目に居なくなってしまいました。
後で分かったのですが、ソビエト連邦に入る前にすでにビザ申請で素性が分かっていて
物書きの方には、良い思いをしてもらい
自国に帰って、書物に書く時良い国だったと文章にしてもらう
重要な人には・・わ◯・・仕◯けて・・・・ス◯◯にしたり・・・・・・・
などなど
KGB第3課が担う入ってから、国外に出るまで見ていてくれる、
ある意味、普通の旅行者にとって、とても安全である。
それだけ閉鎖された国ですが、強かった印象があります。
写真の私の後ろは、モスクワ大学です