ステージ2 60歳からの体の悩み

絶望と希望・試練編3(育毛日記99日目)

髪の毛の事をやけに抜けることを
気にしている25年前37歳の頃

函館に転勤して
おぞましいぐらいに忙しい日々

永遠に続く日々なのか
普通の人ならおかしくなりそう

寝る日もないぐらい続き
来る日も来る日も永遠と

沢山の人が、見せしめに会い
涙ながらに去って行く者

会議では、出来ないものは言ってくれ。
幾らでも、代わりの者はいる

逆らった者は、支店長付きとなり
机と椅子はあるが、仕事は与えない

延々と、何もせずさせず
終礼が終わるまで孤立である

二度と戻れない系列会社への出向
家族とも一緒に生活できないように

永遠の転勤を送る者
殆どは、リストラ対象の者で残った人達

私と言えば、その中の日本中の、
営業所の中で一番残業の多い所でした。

営業での数字は、必ずやりきり
10年間払わない所に行き

日本最大の◯◯組舎弟◯◯に出向いて
支払ってもらい、

破産も、和議も全て
支払いをさせもしました。

後に、聞いた事なのですが
営業の数字は、

所長が一人でやった数字で
大型営業所の所長として、

栄転になったそうです。
それって私の数字だったはず

まぁ、そんな事今となってはどうでも
良い事なんです。

私の娘は、家内がせっせと札幌の
病院通いでした。

ある時に、有名な心臓外科の先生が赴任されて
函館の病院でも見てもらえることに

先生は、娘の病気は治せない
太く短くと言う人生もあります

このままだと、歩けなくなり
車椅子生活も覚悟した方がよいと言い

それ以上の手ほどきはありませんでした。
絶望です。

札幌の病院に行き、担当先生に話すも
その先生が言うのでしたらと

それ以上の事も、皆さんその大先生に
右ならえでした。

その大先生は、何処かの病院へ移られて
そんな時に、函館の病院に小児心臓の内科の

良い先生が赴任し、そこに海外から来た
小児心臓外科の先生が赴任されて

やっと、函館で見てくれる先生がそろい、自分の娘なら手術をしますと言ってくれたのです。
肺低形成と言う事で、娘は長い事歩けないのです。2人の先生が手術をしましょうと言い

左の肺に血液が行くようにして、肺を育てる
大手術の1回目を行なったのです。

朝8:00ごろ、麻酔のため手術室へ
夕方に終わり、

術後の娘は手術室横で、沢山の管のついた機械がピコピコと光り15個ぐらい付いて

完全看護で見てもらい、機械が外れていき
半分くらい外れると

集中治療室ICUへ移動する事でひと段落
更に外れて2つぐらいになって

一般病棟個室、看護詰所前で一安心です。
私は、仕事の合間に顔を出すぐらいが関の山

親に来てもらうなどして、上の娘を見てもらい
乗り切るのでした。

半年後、大手術2回目、右肺の手術
ピコピコの機械は更に増えていきました。

成功して、肺は順調に育ち
少し歩けるようになったのです。

しかしまたまた、歩けなくなり始めたのです
血液が流れすぎて、肺胞が圧で

耐えきれなくなり、肺胞が潰れていき
肺呼吸が苦しくなったのです。

写真は、函館より遡る事15年前の銀座スエヒロステーキハウス・アンガス牧場。
我が青春時代の仕事が終わって食事風景です。時は同じくしてキャンディーズ全盛時代!!

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